May Be Tomorrow

明日はきっといいことある

教育を受ける権利と卒業アルバム

1年前まで

日本のすべての子どもには教育を受ける権利が与えられていると

私は信じていたし、疑ってさえもいなかった。

 

ただ娘が起立性調節障害になり午前中動けなくなり、他の病気や何らかの理由で学校へ行けなくなった子どもにはこの当たり前だと思っていた権利すら与えられていないことに気付いた。

そして学校関係者はそのことに気づいていないのか、気づいていてもどうしようもできないから気づいていないふりをしているのか対応してくれない。

公立中学はその地域の教育委員会によっても考え方は違うから私達親子がたまたま運が悪い地区なのかもしれない。ただ理想的には日本のどこに住んでいても最低限の教育はどのような状況の子どもにも受けられるようにしてもらいたい。

 

先生にはまず学習する場をどうするか取り組んでもらいたいのに、それはないがしろにされたままで卒業アルバムにどうしても載ってもらわないとと写真を撮る方法をいろいろ考えてきてくれた。おそらく娘は写真を撮りに学校へ行くことはないし、写真を撮って渡すこともないだろうと丁重にお伝えした。すると先生は、それをすんなり受け入れはできないので何か方法を考えますとおっしゃった。その場はそれでとりあえず終わったが、何か間違えてはいないか。

これまで学習する場を考えてもらいたいという学生の基本的な部分についてのお願いは適当に扱われて大した案も持って来なかったくせに、外部からの目、見せかけだけの人数合わせの方法は全力で考える。卒業アルバムはそんなに大切か?不登校の子どもにとっては苦痛以外何ものでもない。そんなことに一生懸命時間を費やす前に学校へ行きたくても行けない子どもの学習する場をどうするかしっかり全教育委員会をあげて即座に考えてもらいたい。組織としておかしいのではないか。

いろいろ考えると卒業アルバムに載ることは何と言われようがやはり全力で阻止しようと思う。