May Be Tomorrow

明日はきっといいことある

私たち親子は公立中学から見捨てられた

起立性調節障害により学校へ行くことができなくなった娘は勉強はしたいからスタディサプリやZ会で自宅で出来ることを頑張っていた。

しかし、1学期の成績表により成績表は学校に行っていることが前提の評価であることを知り内申書が合否に関わる高校への進学はあきらめることにした。

そして無理をして全日制高校へ通ったところで環境が変わったからといって朝から通えるようになるとは思えず単位を心配しながら通うよりは通信制高校でゆっくり療養しながら大学受験に備えることにした。

そして通信制高校サポート校に申し込み早速週一で通うことになった。

1人で学ぶことへの限界も感じていたようで夕方から勉強を教えてくれる場所ということで新しい場所への不安もあるけれど楽しみにもしているようだ。

 

この状況を現在所属している公立中学に伝えたところ、今更家で出来ることで評価する方法もあると言ってきた。もう遅い。そしてそれは1学期に言ってもらいたかった。おそらく公立中学にも柔軟に対応しようとすればできるのであろう。ただ担任だけの判断でできることは限られており、自分が良いと思うことでも上からの許可が必要なのだろう。そういう組織である限り即座に対応は不可能で私たち親子のように学校へ再び通うタイミングを逃すことになるのだと私は思う。

 

本来公立こそが

普通に学校に通えない子に

きちんと対応しないといけない

のではないか。

 

今回現状を説明し表向きには進学先も決まり前向きになったから中学は距離を置く形にみえるが、よくよく考えると公立中学ではサポートしきれないからお金を出してそんな場所があるのならそちらへどうぞということで、私たち親子は公立中学から見捨てられたのだと感じた。

 

 結局社会的弱者や少数派は救ってもらえないのだ。